房姫様物語⑪

檀家の人々はみな「よね」の働きぶりに関心し、
「庵を建てたらどうだろう」と相談するようになりました。
「よね」がそれを聞いて驚き、
「私にはそんなお金はありません」と言って断ると、
「そんな心配はいらない。檀家のみんなで建てるから」

檀家の人々は柱一本、ワラ一束と持ち寄って
宝蔵寺の東隅に庵を建てました。
正面には「よね」が奈良の徳行寺を出るときに
もらってきた観音様を本尊とし、
他の仏具は宝蔵寺よりもらってきた物で
形を整えました。
庵は「慈草庵」と名付けられ、
近くに1本の山桜が植えられました。

「よね」は宝蔵寺脇の尼僧として働くようになり、
檀家の人々からは
房姫さまと呼ばれるようになりました。

房姫桜 引用:福地いろどりむら通信 26号掲載
構成・挿絵:北野玲/参考文献「宝蔵寺の昔話・房姫様物語」(山田貞一)

宝蔵寺は臨済宗・妙心寺派の寺です。
寺の前進である宝蔵寺が、この地に永くありました。 その昔、この地に来た巡礼の女人「よね」が、宝蔵庵で出家して尼僧となり、房姫様と呼ばれて親しまれました。
四十年ほど仏道に勤め、享和二年(一八〇二)に六二歳で浄土に旅立ったのです。

房姫桜はその尼僧を偲んで名付けられたヤマザクラで、樹齢二百数年です。八百津の天然記念物として文化財に指定されています。 周辺の樹木や進入林道の整備など、「房姫桜保存会」(金井正尋代表)では環境保全活動をおこなっています。
4月中旬が見頃で、ライトアップもします。 山里ならではの幻想的な夜桜を是非一度ご覧ください。


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(宝蔵寺住職・小笠原正)
光明山 宝蔵寺 〒505-0422 岐阜県加茂郡八百津町久田見4297
[2019/08/19 投稿]