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4月に作った 八百津町食改協推進員 佐藤さん宅のほう葉寿司

八百津でほう葉寿司を作ろうと思うと、大きさ、柔らかさがいい具合になってくるのが5月中旬頃。
4月初旬はまだ 早すぎて使える新しい葉はありません。
そのため、 八百津町食改協推進員 佐藤さん宅では毎年4月第2日曜日の本楽と前日の試楽の2日間開催される八百津祭りの際の食事用にほう葉寿司を用意するために、昨年のうちにほう葉を採取して湯煎、ラップでくるんで冷凍保存しておくのだそうです。
採取したばかりのほう葉と比べて香りはとんでしまってはいるのですが、なくなってしまっているわけでもなく、十分美味しいほう葉寿司が作れます。
一度湯煎してあるので、新しい葉を使用するより柔らかくなっており、寿司も包みやすく扱いやすいように感じる方もいるかもしれません。

具材:キャラブキ/あさりのしぐれ/しょうが/しいたけ煮/さけフレークの煮物/小エビの佃煮/あおじその実

寿司の具材は それぞれの家庭によってさまざまです。
昔から、野良仕事の際のお弁当として作られることが多かったほう葉寿司の具材は、日持ちするものが選ばれることが多いようです。
そのおかげで、現在では一度にたくさん作って保存することもできるので、離れて暮らしている家族や親せき、知人などに食べてもらうために郵送する方も多いそうですが、近年気温の上昇で昔の八百津と比べると気温が上がっていて、保存方法も少し工夫をしないと1日、2日後にはお米が固くなって美味しく食べられなくなってしまったり、痛みがはやくなっていないか気を使ったりしなければならなくなったとい変化を感じているそうです。

雪が降らなくなった、気温が上昇した、そんな変化も食卓に少しづつ変化を与えています。

ほう葉寿司は、山の方で作られていた郷土料理というイメージもあるのですが、八百津町の下エリアである八百津にお住まいの佐藤さん宅も、まわりの皆さんが作っているのを見て、作り始めたのは佐藤さんが結婚した頃、40年ほど前のことかな…と話していらっしゃいました。40年前は、八百津の下エリアでほう葉寿司を作り始めた頃で、そのころから下エリアでも広まっていった、という感じだったそうです。

包み方は、食事場所や保存時間などによって手間を省くために二つ折りにするだけの包み方や、両端を内側に織り込んで、きれいに包み込み、再度に藁紐で縛る包み方など様々です。
藁紐が用意できなかったり、面倒だったりすると輪ゴムで止めてしまう方法も多く使用されます。

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持続可能な発展を目指す02

日々仕事を進めていく中で、 視野を広く持ちながら、目の前のことをコツコツと続けていくことが 一番大切で、一番むつかしいことなのだと感じています。

人に意見を言うことや、自分なりのアイデアを出すこと。ディスカッションをする時間が 一番クリエイティブで、「仕事やった感」を感じやすい部分であるからなのか、多くの人はそこに集中しがちです。 でも、一番大切なのは「運営」していくこと。 どんなに高尚で素晴らしい企画が作り上げられたとしても 計画通りに成し遂げる人間がいなければそれは全く意味を成しません。

単調で、つまらない作業を目的達成に向けてコツコツと、 もしくは、計画通りにことを運ばせるために大切な歯車の一つとなって動くこと。

ここは誰もが嫌がる部分。 そういうことを文句も言わず黙ってこなせる人がどれだけいるのか。 だからこそ、労働力にはそれにみあった対価が必要で、それを維持するのが一番大変で難しいことです。 その部分を軽視していると、どんな形であれ最終的に向かう先は崩壊しかない。 『持続可能な発展』を目指して、日々憤りを感じながらも 試行錯誤を続けていくことがなによりも大切なことだと考えています。

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房姫様物語②

その日、徳行寺の和尚さまは
外で用事があるらしく、
昼前にお寺を出ていきました。
「よね」はふと思いついた方法を
どうしてもやってみたくなり、
とうとうほとけさまのまんじゅうに
手をのばしてしまいました。

お寺の階段に座り、
饅頭に人差し指をつっこんで、
中身のアンだけを上手にすくって
食べてしまいました。
背中の弟にもすくったアンを
指で食べさせました。

すっかりアンを食べてしまうと、
外側の白いところをそのまま残して、
もとどおりの場所に戻しました。
日も暮れかけたので、
家に帰りました。

房姫桜 引用:福地いろどりむら通信 16号掲載
構成・挿絵:北野玲/参考文献「宝蔵寺の昔話・房姫様物語」(山田貞一)

宝蔵寺は臨済宗・妙心寺派の寺です。
寺の前進である宝蔵寺が、この地に永くありました。 その昔、この地に来た巡礼の女人「よね」が、宝蔵庵で出家して尼僧となり、房姫様と呼ばれて親しまれました。
四十年ほど仏道に勤め、享和二年(一八〇二)に六二歳で浄土に旅立ったのです。

房姫桜はその尼僧を偲んで名付けられたヤマザクラで、樹齢二百数年です。八百津の天然記念物として文化財に指定されています。 周辺の樹木や進入林道の整備など、「房姫桜保存会」(金井正尋代表)では環境保全活動をおこなっています。
4月中旬が見頃で、ライトアップもします。 山里ならではの幻想的な夜桜を是非一度ご覧ください。


—–
(宝蔵寺住職・小笠原正)
光明山 宝蔵寺 〒505-0422 岐阜県加茂郡八百津町久田見4297
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房姫様物語①

房姫桜-房姫様物語①-

「よね」という名前の娘がいました。寛延元年(1748年)、奈良県柏村の貧しい家に生まれました。男3人、女4人の兄弟を持つ次女でした。

「貧乏人の子だくさん」と言われているとおり、生活は大変で、年上の子供たちは、家の手伝いや子守など、一生懸命に働きました。「よね」も12歳となり、弟たちの子守が毎日の仕事でした。


ある日、「よね」は幼い弟を背負い、近くにある徳行寺の境内で、子守をしていました。
ふとほとけさまの祭壇を見ると、それはそれは大きな饅頭が、日と重ねしてお供えしてあります。

「よね」はそのまんじゅうが食べたくて食べたくて、つばを飲みながらあれこれ試案しました。なんとかうまい方法でたべることができないか。

房姫様物語②に続きます。

房姫桜 引用:福地いろどりむら通信 15号掲載
構成・挿絵:北野玲/参考文献「宝蔵寺の昔話・房姫様物語」(山田貞一)

宝蔵寺は臨済宗・妙心寺派の寺です。
寺の前進である宝蔵寺が、この地に永くありました。 その昔、この地に来た巡礼の女人「よね」が、宝蔵庵で出家して尼僧となり、房姫様と呼ばれて親しまれました。
四十年ほど仏道に勤め、享和二年(一八〇二)に六二歳で浄土に旅立ったのです。

房姫桜はその尼僧を偲んで名付けられたヤマザクラで、樹齢二百数年です。八百津の天然記念物として文化財に指定されています。 周辺の樹木や進入林道の整備など、「房姫桜保存会」(金井正尋代表)では環境保全活動をおこなっています。
4月中旬が見頃で、ライトアップもします。 山里ならではの幻想的な夜桜を是非一度ご覧ください。


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(宝蔵寺住職・小笠原正)
光明山 宝蔵寺 〒505-0422 岐阜県加茂郡八百津町久田見4297
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『Kanisan club かも版 vol.290

2019年7月25日発行『Kanisan club かも版 vol.290』 で、八百津町山村活性化支援事業を紹介していただきました!
やおっちがカフェで、珈琲を飲んでいる写真が表紙になっています。
この手でどうやって持ってるの!!?
そこも気になりますが、中身も八百津町特集が、7ページにも渡っています!「八百津町山村活性化支援事業」の紹介文も読みごたえがありますよ!

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持続可能な発展を目指す

山村活性化支援交付金事業を進めていく中で、一番重要な目的として、山村エリアが自力で「経済を創出していく」「このエリアの価値を創出していく」力をつけるという項目を挙げています。

表にでている目的としては、「特産品開発」と「観光の活性化」となっていますが、実はこれを実現していくために重要な条件が、このエリアに住む人たち一人一人がこれらの課題を「自分事」としてとらえ、「どうしていけばよいのか?」を真剣に考え、活動をしていくことにあると考えています。

山村活性化支援事業は、交付金を使用して運営している事業になりますので、3年間の期間が終了すると、交付金の支給は終了します。 これは最初から決まっていることです。 だからこそ、現在支給されている交付金を利用して、3年後以降の八百津町山村エリアを創造していく必要があるのです。 そこに必要なことは、今足りていないもの、目先の不足金の補充ではありません。

今後、このエリアに必要なものを生み出していく力を培っていくことです。

老子の言葉 で、 「授人以魚 不如授人以漁」 というものがあります。
「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ」
という意味になるのですが、 まさに、山村活性化支援交付金事業で目指すべきところがこれになると考えています。

今、空腹だろうからと、魚を渡され満たされても明日もまた空腹になります。

しかし、毎日魚をもらうことはできません。 それであれば、魚ではなく釣り竿をもらっていれば、明日も、あさっても、それ以降も 自分で魚を採り続けて生きていくことができるのです。

今回の「釣り竿」となる具体的な内容は、 八百津町山村エリアの「おいしい」をまとめた情報 山村エリアに住む皆さんが持つ技術やここにある資源についての情報 そして、今後これらの情報を活用し、新たな「モノ・コト」を作り出していくマンパワーの創出 であると考えています。

言葉にすることは簡単なことですが、変化を起こすということは、並大抵のことでは無いという実感もしています。

それでも、残りの1年半の期間。 皆様のご協力あっての成果となりますので、今度とも多くのご指導、ご意見等いただきながら確実に進んでいきたいと考えています。

※福地いろどりむら通信 7月号掲載文章

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岐阜大学の八百津視察①

今年度の具体的な動きとしての最初の活動が、6月5日(水)の岐阜大学の八百津視察となりました。
「次世代地域リーダー育成プログラム」を受講の八百津をテーマに選だ学生さん6名が、今年度の企画立案~実施の前段階として「八百津町山村エリア」を知るための視察で訪問してくださいました。
2020年2月の成果発表へむけて今年度の授業の中で八百津を扱ってくださるそうです。

並行して、2018年度から引き続き、名古屋造形大学学生さんによる、八百津町山村エリアのデザイン・ブランディングも進行しています。

そして「山村エリアからやおつを考える」から発展した形の「やおつ山村未来塾」という名称で、やおつ地域リーダー育成の機能を盛り込んだ会議を開催していきます。こちらは町内外問わず、八百津町に関心のある皆様にご参加いただく予定でおります。

※福地いろどりむら通信 7月号掲載文章

岐阜大学学生さん 福地いろどりむら訪問
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6月は「ほう葉寿司」の季節

2019年度「山村活性化支援事業」の活動スケジュール調整の4月・5月を経て、八百津町内での具体的な活動開始は、6月からになりそうです。
今年度の活動の軸となるものは、昨年度から引き続き、①「山村エリアからやおつを考える」町民主体会議 ②山村エリアPR用印刷物制作に伴う、取材・インタビュー等 ③印刷物・サイト・観光サイン等制作物制作 の3つになります。

中でも、取材・インタビューの活動が昨年度と比べると活発になり、個別の事業者さんや施設へお邪魔させていただくことも増えていく予定でおります。

さっそく、6月は「ほう葉寿司」の季節。
山村エリアでの「ほう葉寿司」。調理方法や、どんな場面で食べられているかなど、みなさんのお話を伺いにお邪魔します。

八百津町山村エリアの昔ながらの文化・歴史を振り返る中での発見を大切に活動を進めていきたいと考えています。

※福地いろどりむら通信 6月号掲載文章

ほう葉寿司
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福地いろどりむらのこと

毎月開催されている「福地いろどりむら」村会に今月も参加させていただきました。
「地域振興」って本当にむつかしいんだよ。最近、ある人に言われた言葉。わかってはいるけど、思いがある人がこんなにいるんだから、きっとなんとかなるという思いもある。今日の村会では「転換期」という言葉が出た。思いが大きいからこそ、ここまで来た。ここらで、現状・現実とのすり合わせをし直して一度立ち止まって、振り返って
新しいものを取り入れることを考えて、今までとは違う発想と、やり方を。岐阜県八百津の山の中でとても先進的な会議だなと思った。ここまで、いろんなことを行動して、実践して、実感したことがたくさんあるからこその今日の会議内容だなと感じた。
私は団体行動が得意な方ではないし、そんなに愛想も良い方ではないので、どっぷりと田舎暮らしって、できないタイプなんじゃないかなぁ…という不安を抱きながらの移住だったのだけど。このところ、私、この場所で幸せに暮らしてるなぁとしみじみと感じることが多い。近所の方に気にかけていただいたり、私の言葉に対して嬉しそうに対応してくれる地元の方とのやりとり。こんなにこの場所に居心地の良さを感じるようになるとは、正直思っていなかった。
「地域振興」のむつかしさってそこにはいろんな人の思いがかかわってくるから「何が起こるかわからない」とこにあるんじゃないかな。
「何が起こるかわからない」からこそ、奇跡がおこる可能性だってあるんじゃないかな。真剣な会議の中で時折でてくる、笑顔とか、笑い声を聞きながら「大丈夫」と、とてもとても強く思った。

※福地いろどりむら通信 掲載文章

福地いろどりむら 村会 ごはん
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まちおこしについて考える

「山村エリアからやおつを考える」
まちおこしについて考えていると、根気よく情報を発信すること、『知ること、知ってもらうこと』の重要さをとても感じる。

「私たちはここにいます。」「私たちの住む場所は、こんなに素敵な場所です。」「この場所は私たちの大切なふるさとです。」
「うちのお母さんが作る、手作りのこんにゃくは、こんなに美味しいんだよ。」そんな些細な事が?と感じるようなことでも、それを知らなかった人がその情報を受け取ったときに、大きな宝物になることがある。

実際、私が山村エリアや田舎に憧れ始めたきっかけの一つに「ごはん」があった。
長野の山の中のお母さんが運営している旅館に宿泊したときの昼ご飯。
野菜たっぷりカレーに、テーブルいっぱいに置かれた、採れたての山盛り野菜。どれも味が濃くて美味しい。

食べ物がたくさん並んでいる光景から得られる幸福感と感動の強烈さ。
ここで暮らせたら、毎日こんな「ごはん」!!!!
長野ではなく、岐阜県の八百津町への移住になりましたが、同じような感動的なごはんがあることを確認し、
田舎に胃袋つかまれて、私は今ここにいるんです(笑)